大抵のイズムとか主義とかいうものは無数の事実を几帳面きちょうめんな男が束たばにして頭の抽出ひきだしへ入れやすいように拵こしらえてくれたものである。一纏ひとまとめにきちりと片付いている代りには、出すのが臆劫おっくうになったり、解ほどくのに手数がかかったりするので、いざという場合には間に合わない事が多い。大抵のイズムはこの点において、実生活上の行為を直接に支配するために作られたる指南車しなんしゃというよりは、吾人ごじんの知識欲を充たすための統一函である。文章ではなくって字引である。
 同時に多くのイズムは、零砕れいさいの類例が、比較的緻密ちみつな頭脳に濾過ろかされて凝結ぎょうけつした時に取る一種の形である。形といわんよりはむしろ輪廓りんかくである。中味なかみのないものである。中味を棄てて輪廓だけを畳たたみ込むのは、天保銭てんぽうせんを脊負う代りに紙幣を懐ふところにすると同じく小さな人間として軽便けいべんだからである。
 この意味においてイズムは会社の決算報告に比較すべきものである。更に生徒の学年成績に匹敵ひってきすべきものである。僅わずか一行の数字の裏面りめんに、僅か二位の得点の背景に殆どありのままには繰返しがたき、多くの時と事と人間と、その人間の努力と悲喜と成敗せいはいとが潜ひそんでいる。

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